トマソン構造体その2 無用階段

ダメになった男を女は見捨てるが男はそこに救いを見出だす、差別と偏見に満ちた考えだが実際そうだ、これは群れの本能に基づいていて科学的な根拠すらある。母親くらいなもんさ、ダメになった男に手をさしのべるのは



深夜バスを乗り継いで街並が凝縮されやがて忙しなく動き回る人の流れとビルの谷間から射す陽光とネオンの光に眼をあてられ、心地よいエンジン音も排気ガスの群れに埋もれてしまい私の安眠は完全に妨げられ目的地に着いた。
新宿のロータリーに迷いながら駅の改札を二度間違え、地下鉄を二段エレベーターでくだりホームの換気孔から漏れる空気を浴び線路の先の暗闇の向こうの小さな灯を見つめて立っていた。


大学時代の懇意にしていただいた教授は地政学と文学をまたにかけた研究をしている方で、よく講義といい東京の様々な駅の名所や地政学的な問題、街の構造等を観察させ、そこから考えられる人々の生活をイメージさせたのち、必ず決まってその地の名店と呼ばれる飲食店に入りごちそうになった。足を使うのが教授の研究スタイルだそうだ。街の形成には必ず経済と文学が絡み合うと教授は言う。その理屈は理解し難かったが独特な観点から物事を推察する能力は、私もいくらか影響を受けたはずである。


「それで教授は、なんて君を評価したんだっけ?」
「リスクのないところから物事を見ようとする覗き屋だと」
「たまげたな、正に言い得て妙だ。」
「戦争には誰しもが行くことになる、武器を使うかキーボードを叩くかの差しかないが実際には同じことで、誰もがはじめは足がすくむ、上司が高圧的なら涙を流す、大男でもそうなる。貧弱な身体は今のうちに鍛えておくといい、いざというとき体が資本というのは、心を支えるのが身体だからだ」
「おかしなもんだな、学生にかける言葉とはとても思えん」
「そういう人なんだ、でも今では教授を変人とは思わない、むしろ教授が正常なんだ」
「俺たちは壊れちまったよ」

神田の喫茶店に我々は腰を落ち着けていた、彼はビーフカレーを、私はライスにメロンソーダだけを注文し、タバコをふかす彼と学生時代の話に花を咲かせていた

「昔はよかった」
「ああ、確かによかった」
私たちの間にある「よかった」は大きな欠落が存在する。お互いがそれに触れることはなかった。彼女の存在と三人の夢、そして何より私の現状と彼の現状は大きく変わってしまったからだ。

「最近、何聞いてんだ?」
「ジョニーグリーンウッド」
「なんだそりゃ」
「映画音楽さ」
「それで、仕事の方はどうなんだ?先生」
「ずっと準備中さ、こう見えて明日も明後日も資料を集めないといけない、教授が教えてくれた足を使う方法さ」
「とても順調には思えんな」
「でもやるしかない、そういもんだろう、仕事は」


茶店を出ると雨が振りだしていた
傘を持たぬ彼はそのまま近くの地下鉄駅に逃げ込みどこか遠くの歓楽街へと向かった。私は傘を指さずにコートのフードをかぶり大通りを渡る連絡歩道橋を登った
道路の往来が雨音と混じり心地よいリズムを生んでいた。ポリリズムのような空間的哀愁、本来はただ通行のためだけの用途にしか使われない階段とその橋が、このときだけは芸術性と神秘性を持っているように私には思えた。深いため息とフードにあたる風の音、そして忘れた記憶が、確かにそこにあった。私は懐からカメラを出し、雨にあたらぬようシャッターを慎重に切った。

「私、もうお酒やめるわ」
「なんでまた、どうせやめられるわけないよ」
「先月、財布を失くした日、おばあちゃんから貰った大事な財布をよ、その前日にたらふくお酒を飲んでた。」
「そのまえのまえの月も、あなたたち二人と喧嘩したでしょう?やっぱり前日にお酒を飲んでました」
「だからって?」
「そう、きっとそういう巡り合わせなのよ」
「そりゃあ、寂しくなるな、では今日で最後にいっぱいやってかないか?」
「そうね、最後のいっぱいを」


私たち二人はこじゃれた庶民的なバーに入りお互いの今後のための祝杯を上げた。私はゴッドファーザーを、彼女はロングビーチを飲んでいた。2杯3杯と酒は進み、気がつけばお互いの秘密を打ち明けあっていた。
「つまりね、彼は私に付き合わないかともう4回も断っているのによ」
「まああいつらしいと言えばそうだが、君らはここ数ヶ月全くそんな風に見えなかった、いつも通りだった」
「そういうのも悪くないじゃない、秘密あっての友よ」
「いや、素直でいることがいちばんだと私は思うね」
「そうかな」
「ああ、素直でいるべきだ」
彼女が黙ってしまったので店内の喧騒が気になりだしてしまう。店員と眼を合わせても注文を取りに来ないので仕方なくメニューをひろげ、シーザーサラダとドリンクのおかわりを注文しにカウンターへ向かった
ドリンクを両手に持って席に戻ると彼女はそこにいなかった


会計を済ませ彼女の携帯に連絡を入れて見ても、何かしらのレスポンスは得られる途方にくれ私は歩き回っていた、今日のように小雨がだんだんと濃くなり、そしてあの連絡歩道橋の階段を登った。そこに彼女はいた。
「寒くないか?」
彼女は傘もささずコートも着ていなかった
「私ね、本当はもっと正直に生きてると思ってた」
「ずっと正直に生きてると、潔癖症みたいに簡単に嘘がつけなくなって不器用になるだけだぞ」
「って、言ってたね」
「でも、もうお酒は辞めます」
「そうだな、よくないよこうやって突然いなくなられたら」
「ふふ、だよね」
しばらく往来の車線の放つ光の雨に眼をやり
「こういうの苦手なんだよね、最後とか、卒業式みたいな、ドラマや漫画の最終回とか、どうして終わる時ってこう物足りないような、焦燥感みたいなものが残るのか」
「夢見がちだからじゃない?子供っぽいもの」
「これで女と酒飲む機会も終わりか」
「またいつか飲めるよ」


そういって彼女は私たち二人の間から消えた。そこから私は鬼のように早く卒論を仕上げ、彼は企業への内定が決まった。1月の半ばのことだった。

トマソン構造体その1

 

 

 

こどものころよく近所の同年代の子たちとささいなことで喧嘩をしたものだった。というのも私は幼少期からくだらないことにこだわるたちで、そういうところが災いしてよくトラブルの種となった。しかしながらこういった点は、教育を受けまた教育を受けさせさえすれば、おのずと改善されまた周りのこどもたちもそうなるだろう、そうすればこんな喧嘩だなんだで悩まずに済む、そう考えていた。実際にはそうなることはなく、今も自分も周りの大人たちも、日々くだらぬことで業を煮やし要らぬ議論を吹っ掛け気分を悪くし他人に時間を割くのだった。

 

 

その日は飲み会の帰りで、私はまたいつもの通り京王線と中央線と総武線を乗り継いで、また京葉線からりんかい線、東京駅を経て丸ノ内線をめぐり、池袋からまた山手線と千代田線と常磐線日比谷線を経て(ここまで書けばこの話がフィクションであるところがわかるだろう)帰路に就くのであった。

「だから言っただろう、過度な期待はしておくなと」

彼は腐れ縁かつ旧知の縁で、長年運悪く通学から飲み会の帰りまで路線が被るしまつの仲だった、気分屋でおしゃべりで、それでいていないと物寂しいがいると面倒で、黙ってさえいればいい男であることは間違いない、そんな男だ。

「いいよもう、よそう、君が満足のいく人間なんてこの世にはいないんだ」

「いいや、必ずどこかにいるさ、ただ見る目が、いや運のめぐりが悪いだけだ、ここは我慢の時だ」

お互い酔いが回り何度も乗り換えをするうちに意識も視線も散漫になり、何をどこまで話したか定かではなかった。

「お前は戦うことをやめたオスだ、つまり角を折られたんだ、そうなってはツキも落ちるってもんさ、おい、いいか?お前が戦うことをやめても、世間は待ってはくれない、奪い合いなんだ。今はのうのうとしていられても、お前も年を取ればすぐ、奪われる側に回ることになる」

「なんなんだよその理屈は、飲みのたびに出すけどさ、ちっともわからん、いったいどういう理論だい?」

電車の車内というものは不思議なもので、同じ方向にむかっているにも関わらず乗っている人間の思想や人生経験やこれから向かう場所、死に場所すべて一つとして同じであることはない、公共料金でとても安く当たり前のように利用していても、その単純な事実に気が付くことはなく、人々は何の不信感も持たずに同じ空間を共有する。

この時乗客はまばらで、空いている席もあったが私たちは吊革につかまり広告や車内電光掲示板や外の景色に時折目をまわしながら、なんとか直立の姿勢を保っていた。

「実をいうとな、浮気が原因なんだ、これも奪い合いの一つさ」

私はすれ違う急行の心地よい音に耳を傾けていたので失念し、親切にも「なんだって?」と聞き返してしまった。

「俺の親父が狂って死んだってのも、俺がおふくろに親父の浮気現場を見たといったからさ。おふくろはそのことを知っていたがね。そして俺の妻が消えたのも、同じ理由さ。親子というのはどうしてこうも似るものかね、笑えるよ」

「知らんさ、それに浮気なんて誰だってする、ありふれた罪だ、いいじゃないか、本人達が楽しければそれで」

「おいおい、冷たいな。楽しければそれでいいだと?良心が痛まないのか?そうまでして、人と距離を置きたいか?」

「適切な距離を保っているんだよ、私は猫のように慎重で、それでいて節度を持っているつもりだ」

「はっ!節度か、いいねえ、いい身分だよ。君はさしずめ漱石で、俺は太宰だ。だがね、どんな身分であろうと、奪いまた奪われる、それがこの世の心理だ。そこに身を置いていないつもりでも、それがいつか降りかかる」

「わかっているよ、誤解しないでほしいが、私はいつも裏切る側の人間なんだ、それは君も知っているだろう?」

 

 

鈍行はやがて途中駅で時間調整をし、急行に切り替わる。駅と駅の距離は長くなり、やがて人の間隔も広くなっていく。

私は一人になり、地元の駅に着くと向かいのホームに見覚えのある女性の姿が見えた。私はふらふらになった背と首を伸ばし目を凝らしてみるが、照明も暗くはっきりとは顔が明らかにならない。しかたなくうなだれて、階段のほうへとぼとぼと歩きだし、しかしどうしても気になりまた向かいのホームに目をやると、その女性がこちらに手を振っているように思えた。

 

 

 

 

こちら限界区刑務所前病院

今日くらいは本音を言いたいですね



皆さんあるじゃないですか、障害者見ると「自分もいつかああなるかもしれない」みたいな恐怖、え?もしかしたらこれしらない?じゃああなたはとても健康なので今すぐ退席していいですよ、何も得することは書かないので



まああるんですよ、そういうのが昔から
んで自分は叔母がその障害者で、去年あたりからそれを間近に暮らすことになり毎日びくびくしながら奇声を聞かされて生きてるんですが、最近ね、もうその狂気が近づいてきたなって、いよいよ迫ってきたなって感じが強くなってきてるんですね…




具体的にはまあ不眠症という(正確には昼夜逆転?でも眠りたいときには寝れないし、いい時間に寝ても今みたく一時間で眼が覚めるとかしょっちゅう)に始まり、それから感覚過敏と思考の停滞と過度な思考の渋滞みたいなのがあり、最早「正気」というもんが保てなくなった自覚があります。そのうち人を刺すかもしれない。



なんでそうなったん?って言われたら化学的には知らん、としか言えないんですけど、現象としては、人間とのふれ合いの少なさや環境の変化でしょうかね



ここのところ毎日元彼女の夢を見ますね、内容は普通にヤってたり、旅行の思い出だったり良いものもあれば、仕事や単位のことで責められたり現状のことを指摘されたり、愚痴を言われたり無視されたり色々ですね、まあどれもキツイ、起きてからの寝汗と虚脱感、うつ状態になります



結局人に飢えてるんだろうな、って矮小化された欲求に虚しさを感じながら、これから先のことを毎回考えることになり、失望ばかりするわけで、そんなことを2年も3年も続けてたら良いわけがないのは誰でもわかることで



どうでしょう?こういうもんです。仕事も人も失った若者って。
いや違うな、きっと真面目にそれなりにうまく生きてる人もいる、わかりません人付き合い無さすぎて



いっぱしに夢を追ってみて、具体的なプランも建てられずにいますけどどうなんでしょうね、上手くいく前に犯罪に走りそうです。



京アニ放火を初め大きな通り魔事件があるとみんななんでそんなことしたんだ!とか被害者がかわいそうとか思うと思いますが、自分はその通り魔にいつかなるんじゃないかということを真っ先に考えますね



ただただ、自分を信用して支持していた数少ない家族や友人知人に申し訳ない、たぶんもう限界です。もしかしたら迷惑をかけることになるので、今のうちに縁を切っていてください。



それにしても精神科の通院って疲れますよ、自分は消化器科で肛門を弄られたことがありますが、精神科は肛門を弄られるよりメンタルに来ます。だってこっちはケツの穴を晒すより辛い現実を正直に(ある程度は嘘をつく)話さないといけないのに、結局それ話しても自分がほしい薬の症状だけを話したとしても結果は同じですからね、何をされるわけでもなく事務的に処方薬を貰うだけなのに、何故こんなに家庭環境やら恋愛遍歴やら、仕事遍歴や現在の環境やメンタルの状態を事細かに説明して気苦労をしなくてはならないんでしょうか、いっそ次回はめちゃくちゃ嘘をついてもどうせ同じたからどこまで嘘がばれないかチキンレースでもしてやりたくなります。



待ち合い室で見た男子高校生、もしかしたら中学生かもしれない、女性は若い子も珍しくないんですけど、男の子はホントに辛い。男性社会って一度外れると無理ですよ、序列制ですからね、外れたやつはずっとドンケツを味会うことになる、女性の場合は高校大学社会人と環境のシフト毎に自分を変え化粧を変え、強かに序列の上位に上手く収まる人がいたりするんですけど、男性は猿のオス、群れの上位はずっと上位で一度下位に落ちると滅多なことでは逆転しません。きっと彼も、この先上手くいかずに悩み続けるんだろう…




昼飯に寿司を食べました、親父と、最近距離を感じていて、親父は超メンタル健康人間なので自分の状態を全く理解できないという感じなんですね、それでけっこう嫌だったんですけど、まあ~始まる母親の愚痴、上手くいってないならもっと早くに離婚してくれた方が、何か違ったかもしれません。
家出した兄貴も母親のことが嫌いでした。
自分はそんなに嫌いではありません、どちらかというと無鉄砲に夢を追う母親と同じタイプである自覚があり、それなりに自己実現できている部分を尊敬してすら居ます。
父親はとにかくことなかれ主義で結論を先延ばしするタイプ。毎朝規則正しく生活する生活能力の高さくらいしか尊敬できません。
ずっと前から母親への愛情が無いことを聞かされており(そんな話精神科行った当日にする?こう言う無神経さに触れるたびにメンタル健康な人って何も煩わしさがなさそうでいいなと)、その話を聞くたびに自分は愛のない家庭に産まれたんだと感じます。
結局自分が元彼女と上手くいかなかったのも、愛情の欠落した人間であるという事実を突きつけられます。


時折Twitterや知人に片親の家庭で育った人を見かけますが、完全に居ない方がもしかしたらマシに思えるかもしれない、こう言うと失礼かもしれませんが、演じられるよりは正直にいてほしいという考えの人間なので…


牛タンが旨かった、寿司屋なのに



クジラをニンニクで食べると旨いとは知らなかった

尾上さん


28歳という年齢は、特別な年齢だと思う


27はまだギリギリ若造という感じがするし、29だと完全なアラサー、28は社会人としても大人としても成熟し、これから人生の大きな岐路に立つ時分だ


晩婚化して結婚する相手との出会いや付き合いはじめの年齢が28だという話を耳にした記憶がある
経済的にも余裕が生まれ、人によっては大きな仕事を得たり車を購入したりする
プロ野球選手のキャリアハイもだいたいこの年齢で、翌年にFAしたりする




尾上さんというバイト先の先輩がいた


俺が学生の頃、20の頃に出会ったのが28歳の尾上さんだ
男性で顔は声優の赤羽根さんに似たそこそこハンサムな彼は、学生の俺と同じ時給で駅のコンビニの朝シフトで働いていた


人当たりがよく、陰気な俺にも気さくに話しかけてくれたので俺の中で唯一バイト先で会話のできる人だった


よくクソ客の愚痴や仕事量について色々話していて、体調が優れないときは率先して仕事をやっておくから上がっていいよと声をかけてくれるナイスガイだった


聞くと彼は求職中で、その繋ぎのためのアルバイトらしかった
短大だか専門卒だったかで、四大だと自分が話すと羨ましがっていた、日本の学歴社会の縮図を初めて直に実感した


尾上さんが初めに勤めていた会社は営業ノルマが厳しく、電話の前に一日中座って日に300と電話をかけると言っていた。結局3年半ほど勤めてまるで業務が変化せず将来性や体調を考慮して転職を考えて結局上手くいかずにアルバイトに落ち着いたらしい


俺は一年半ほどそのコンビニにいて、一年経った辺りで彼は転職先が見つかったとしてバイトを名誉退職していった


退職するときにマネージャーとひと悶着あったらしく、当時かつかつだったシフトの穴埋めに関して何か言われたらしい


最後に俺に挨拶するとき、少し厳しい表情で「君は就活上手くいくといいね」と念をこめて言ってくれた


なんだか少し複雑な気分だった


28だった尾上さんは新しい人生を歩み始めていた


今どうしているだろうか、生きていれば35を越える年齢になっている


彼は自分の幸せを掴みとることができたんだろうか?

ドライブ


俺の人生のある期間に、狂ったように母親と長距離ドライブをしていた時期がある


母親は当時週3日のシフトだったので、平日道が空いている曜日に辺境の地におよそ三時間程度かけてドライブをする


行きは俺が運転し、帰りは母親が運転したのでそれほど疲れなかった


どうしてそんなことをしていたか?俺がマザコンだからか?いや違う。今同じことをしろと言われても頼まれてもやりたくない。しかし当時の俺には、その必要性があった


生きる目標を失うと、人間は不安に駆られる。
例えばそれがペットの面倒を見ることだったり、明日のアニメを消化することだったり、長期休載の漫画の単行本を心待ちにすることでもいい、人間には目標が必要だ


俺はその時詳細は省くが生きる目標の内のひとつ、いやふたつの大きなものを失っていた


とにかく目標が欲しかった。なんでも良かったんだ。それが見つかるまで当座の目標がドライブだった


ドライブではある目的地を決める。当然、行ったことはないからナビ頼りだ。道は運が良ければ快適だし悪ければ迷ったりもする。どちらにせよ車の狭い空間で座ってアクセルを踏むことを義務づけられ、景色が少しずつ変わっていくことに微かな喜びを覚えた


灰色の朝を迎えることに恐怖していた。じゅん散歩という番組のオープニングが聞こえると今でもあの頃を思いだし、発狂しそうになる
とにかく景色が灰色だった
お笑い番組や好きなバンドの曲や漫画を鑑賞してもそれは同じだった、どこか遠い感覚、フィルターを通して見る世界、消えることのない肺の霞み、腹に据わる一物の重り


それらはゆっくりとした渋滞のなかであってもドライブで目的地に向かうことで忘れることができた、あの期間に俺はひとつの答えを見出だしていた


必要なのは目的地、いや違う、その過程だ
ドライブではいつも行き当たりばったりの目的地だった、むしろ計画すればするほど目的地についたとき落胆が大きかった


その過程、つまり目的に向かっているという確かな実感が必要なんだ



ずっとずっとアクセルを踏み続けなくちゃならない
前に進むことを恐れ、闘うことから逃げた瞬間から、またあの灰色の景色に襲われることになるだろう

死への傾向性とその信仰 バナナフィッシュに魅了される若者たち

それはある種の信仰である



僕たちはいつも心のどこかでこう願う、もしこの生活のサイクル、煩わしい人間関係や仕事のストレス、メディアの向こうから伝えられる残忍な映像や下世話な噂話、時間や体力や金を気を使い消耗させていく自らの限定的な資本、そして自己の内面にある鬱屈した欲求や懊悩から解き放たれて本当の自由を手に入れることができたら、と



それをあたかも解決せしめるような方法が、1つだけあるように感じられることがある、それが死だ。


根源的な生命活動の恐怖の対象でありながら、肉体と精神と現実世界の認識との束縛を解放してくれるものがそれであると人は信じて止まない。


創作物やメディアのセンセーショナルな事件の報道では死は最も劇場の盛り上げ役を担う。
それを見て僕たちはこういう盲信を抱き始める。


間違いない、死の中心に自分が居たら、誰かが僕に気を留めて、くれるだろう?葬式を開いて、丁寧に身を埋葬して、そして未来永劫心の中で信仰の対象としてくれるだろう?


憎しみあっていた家族が、親や子の死によって突然団結し始める、または宗教や国のいさかいが、悲劇的なテロリズムや災害によって垣根を越え団結し始める。


死は、悲観的な一面を抱えながら、どこかで人間を大きくプラスに変える劇薬なのだ


そう、それが見ず知らずの他人のものであれば…



だが実際どうだろう?身近な人が死に、悲しみはする、しかし何れはその人も死に、誰も覚えていなくなる、幸運にも墓石が残ればどこかの住職か誰かが祈りを捧げてくれるかもしれないが…


それどころかどうだろう?この様々な事が日々変わり続ける生活の中で、死んでいった僕たちを忘れずにいられるだろうか?もうすでに、その記憶や感情たちは、歯を磨きパンを焼きコーヒーを淹れるその一瞬でどこか脳の細胞の彼方に凝縮されてしまっているのでは…
本当に死は自由への解放か?



シーモア・グラスの死は太平洋戦後のアメリカの若者たちに衝撃を与えた
それは海を越え、バナナフィッシュに魅了された僕たちは後を絶たず、生活の中でバナナを咥えた魚の影を見つけては、バナナ熱に怯えて、或いは憧れて、なまっちろい脚を見られたことを気にしたと言って恋人の隣で自分のこめかみに引き金を引くこと
を考えている


だけどね、シビル、これだけは断言させてもらおう



死、そこには自由はない、あるのはただ、誰かの語り種とカタルシスの為の価値だけだと




僕たちは生きてこそ自由を手に入れるべきなんだ

闘争領域の拡大


人間関係や事務的仕事にはてんで要領の悪く不器用な人間だったが、筆記試験は昔から得意だった


忍耐力はなく、人並みかそれ以下の努力しかしなかったがそれなりにクラスで上位の成績を修めることができたのは、一重にあるコツを実践してきたからだ


それは勉強中、試験中、「わからない」という言葉を使わないということだった


いや実際にはつい惰性で、わかんね~と言ってしまう。やりたくないという気持ちは常にある。
だがやらなくては前に進めないし、という惰性による効率化だけで乗り越えてきた


この考え方はいつの頃か、テレビかなんかで「わからない」と思うと人間は思考を停止し始めるから「わからない」と思わない方がいいという心理的作用を知って以来だ。どんなに困難な問題でもとりあえず手を動かし、少ないヒントと知識から正解を導くことに慣れていった


特に効果的だったのは英語と数学だ
英語の難関はやはり長文だ、しかしどんなに難読な長文でも「わからない」と思わず、設問の下線部の前後のセンテンスから微妙な用語を抽出する、特に逆説や接続詞や数字に注目するとその設問の大義を理解できる。最悪でも五択のうち二択程度には絞ることができる


数字の場合は図形や文章問題で役に立つ、図形ではいくつかのヒントがちりばめられており、例えば円や三角形の一部に簡単な数字(多くは整数)がふられており、そこから本来必要な公式の知識がなくとも無理やり計算から回答を導ける場合がある。文章問題では確率や速度の問題ほど、やはり公式外のヒントによって無理やり数えて回答が導ける場合がある


もちろんこれらは知識を要求する専門的な問題で あればあるほど、上手くいかない場合が多い、実際俺は英作文はほとんどできなかったし、数学は複雑な公式を要求されるとつまずくことが多かった


歴史や生物化学などはほとんど知識問題なので、結局この考え方で粘って点数を稼げるのはごく一部だった


だからこそ俺は何かの拍子で気合いを入れて頑張っても、クラスでの順位はそう大きく変わらなかった、そこにある壁は大きく、大学受験は失敗し、浪人した


受験が終わると俺は目的を失い、長い惰性の渦に陥った。今でもこれに苦しむことになるが、結局のところ人生でも目的が「わからない」生きる意味が「わからない」と言うから脳は言葉の心理作用によって思考を停止し「わからな」くなってしまうんじゃないだろうか?


もちろん、「わからない」を言わなくなったからと言って人生の意味が悟りのように理解できる訳はない。むしろ、思考停止によって気づくことのなかった不安や恐怖と戦っていくことになる



「人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない、肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ」


イノセンスの荒巻課長によるロマン=ロランの言葉の引用だが、望んだり生きたりすること、というのは闘争領域を拡大することなんだ


ミシェルウェルベックの闘争領域の拡大、自分という領域、今ある社会階級や生活環境から脱却しようという行動を取らなければ、いずれは誰かに奪われることになる、それは病気や仕事が原因かもしれないし、同僚や親や老いがそれになるだろう
緩慢な死が、常に自分に迫ってきていることに自覚がある人は少ない


就活をしなければ仕事には就けないし、告白をしなければ恋人はできない。仕事をしなければ昇進はできないし、誘わなければ友人は増えない、興味を持って調べなければ趣味は増えないし、街に出なければ美味い飯にはありつけない


受験勉強の時は、目の前に渡されたテキストとプリントをこなし、他の生徒が居眠りしている間にペンをとれればそれで良かった


受験戦争が終わり、次に待っていたのは開かれた、真の自由領域での闘争の世界だった
自由でいて残酷な、生き死にに関わる闘争が常に自分に突きつけられていた


それに恐怖し望んだり生きたりすることと闘わなくなれば待ち迎えていたのはゆっくりとした死、受験日当日のようにはいかない、いつくるともわからない審判


いつまでも「わからない」と言って思考を停止していれば、それに気づかずに笑って死ねるのかもしれない