臆病者
あれは大学一年の、確か後期の2、3ヵ月経った頃だった
大学に一年宅浪してはいった俺は、孤独だった。
高校の頃付き合いのあった仲間とは連絡を取らなくなり、入学してから一週間ほどぼっち飯を経験し、これはまずいとあわててサークル探しをはじめ、漫画研究会でなんとか居場所を作っていた。
それでも俺は孤独だった。
大学も最近の若者のトレンドをくみ取ってやろうとしているのだろう、おせっかいにもクラス制というものがある。自分の学部は陽キャが多く、そして運悪くサークルの同期に自分しかその学部がいないせいもあり、授業はほぼほぼボッチで受けていて、説明会も一人の情報収集能力ではどの講義が自分にとって楽なのか、ためになるのか、向いているかも判断するのが難しく、そのせいでいくつか取りこぼしが起きていた。
いや、それ自体は楽だった。取りこぼしと言っても後でいくらでも取り返せる単位数だったし、そもそもボッチでいることの時間の方が好きな自分にとっては、一人でいられる方がありがたかった。
英語の講義が、必修であった。
これもクラス制でいくつかのクラスがまとめて受けさせられるものだったが、なんと自分だけ別クラスに入れられてしまったのだ。
喜ぶべきなのか?上中下とランク分けされたなかの上のクラスに自分だけ配分された。数少ないクラスの顔見知りにも、頭いいんだねなんて言われたが、一体全体なぜそうなったのかわからない・・・入学初めのTOEIC試験でもこうなることを危惧してメチャクチャ適当に受けていたのに・・・
覚悟を決めて講義を受け始める。必修なので。
最初は、クラスの顔見知りと顔合わせ無くて済むから楽だななんて思っていたが、最初の自己紹介で違和感に気が付く。
「幼いころ両親の仕事の関係で12さいまでヨーロッパを転々としてました~」
なんてひとがごろごろいて、みなファッションも大学生とは思えぬブランド物の財布や良くわからん鎖のアクセサリ、部屋のなかで麦わら帽子をかぶるやつと、なんとなく他の大学生とは一味違う「上流感」を出していた。
「ぼ、僕はオーストラリアに二週間・・・」
なんて言えるはずもなく、無難な記憶に残らない自己紹介をしたイオンで買った服をまとう奨学金を借りて大学に通う自分。
さらにこの講義では班を組み、講義中の会話はすべて英語で日本語禁止というものだった。
シャイな日本人だ、どうせ口数少なくなあなあな英語で90分過ごせるだろうと思っていたらみな堂々と英語で日常会話をし、与えられた難しい議題にも難なくディベートを行っていた。
俺はだんだんこの講義が耐えられなくなっていた。
前期はなんとか切り抜けたが、後期に入り、ついに3回目でぶっちすることに決めた。
後期にもなると大学生活に慣れ、だらだらと昼からの登校、そうして講義にも出ず部室でゲームしたり漫画を読んだり。そんな惰性に浸りきっていたある時の事だった。
キャンパス内を歩いてコンビニでいつも通りシーフード麺を買い、サークル棟にむかおうとしていたとき、
英語の講義で同じ班だったいつも隣の席の女子とばったり鉢合わせてしまった。今では名前も思い出せない、顔もぼんやりと、ちょっと出っ歯だったなくらいしか思い出せないくらい印象の薄い女だ。
気まずいしそのまま知らんふりをしてやり過ごそうといつものやり方ですれ違おうとしていた。俺は昔から学校外で知り合いにあっても知らぬ顔をして挨拶もせずその場を去るような奴だ。今回もそのはずだった。
「○○君だよね?」
この女、空気を読まずに声をかけてきたのだ。
「あ、うん久しぶり」
仕方なくしどろもどろに返事をしてうまくその場をしのいでやろうと思った。一人にしてほしかった。
「どうしたの、最近英語の講義に顔出さないけど・・・」
「いや、まあちょっと複雑でさ、ははは」
「そうなんだ~・・・」
それから気まずい沈黙があったような無かったような、とにかく女は奇妙な話をし始める。俺は最初ペアになる相手が欠席されると講義が受けづらいと責められるのではないかと思っていた。
「あたし高校卒業してないんだよね」
「へ?そうなの?」
何を言い出すんだこいつ、と思わずオタク特有の裏返った高い声で反応してしまった。
「家庭が複雑でさ~だからちゃんと高校通えなくて、でも大学はちゃんと出て将来は海外で働きたいから、アルバイトしながら高卒認定試験受けたんだよね~」
あくまで彼女は飄々と明るい感じで話していた。しかしその話の裏には重たい事情があることは明らかだった。それを悟られないように明るいトーンで話すのが、厳しい境遇で実につけた彼女の処世術なのだろう。
「ああ、そうなんだ・・・でも、俺はもう出ないから・・・」
「そっかーまあいろいろあるよね」
会話はこんな感じだったと思う。
彼女とは、それきりだった。
その時はその場から逃げたい一心だったので、深く考えなかったが、今思えば彼女は俺が複雑だから講義に出れないなんて大した理由もないのに曖昧なぼかし方をするから、余計な気を使って自分の境遇を打ち明け、勇気づけていようとしてくれたのかもしれない。
俺はと言えば、ああ意外とあの上流階級ぶったクラスにも俺みたいな奴いたのかもななんて、ちょっと面白おかしくなってしまって部室で一人カップめんをすすりながらニヤニヤ笑いを浮かべていただろう。
しかし今になってもその時の彼女のまっすぐな物言いが記憶に残っている。
彼女は俺よりもずっとつらい境遇でも、志を持って自分の目標に向かって真っすぐに、周りの人間との比較もはねのけてうまく適応して生きようとしていた。
俺はただ、大学4年間ほとんど自分の目標も志に向かう努力もせず浪費していた。
ギリギリの単位で卒業できることが決まった時、それを嬉々として親に報告しながら落ちてしまえばよかったのになんて本気で思っていた。
どうして彼女のように真剣に生きられないんだろうな