トマソン構造体その1

 

 

 

こどものころよく近所の同年代の子たちとささいなことで喧嘩をしたものだった。というのも私は幼少期からくだらないことにこだわるたちで、そういうところが災いしてよくトラブルの種となった。しかしながらこういった点は、教育を受けまた教育を受けさせさえすれば、おのずと改善されまた周りのこどもたちもそうなるだろう、そうすればこんな喧嘩だなんだで悩まずに済む、そう考えていた。実際にはそうなることはなく、今も自分も周りの大人たちも、日々くだらぬことで業を煮やし要らぬ議論を吹っ掛け気分を悪くし他人に時間を割くのだった。

 

 

その日は飲み会の帰りで、私はまたいつもの通り京王線と中央線と総武線を乗り継いで、また京葉線からりんかい線、東京駅を経て丸ノ内線をめぐり、池袋からまた山手線と千代田線と常磐線日比谷線を経て(ここまで書けばこの話がフィクションであるところがわかるだろう)帰路に就くのであった。

「だから言っただろう、過度な期待はしておくなと」

彼は腐れ縁かつ旧知の縁で、長年運悪く通学から飲み会の帰りまで路線が被るしまつの仲だった、気分屋でおしゃべりで、それでいていないと物寂しいがいると面倒で、黙ってさえいればいい男であることは間違いない、そんな男だ。

「いいよもう、よそう、君が満足のいく人間なんてこの世にはいないんだ」

「いいや、必ずどこかにいるさ、ただ見る目が、いや運のめぐりが悪いだけだ、ここは我慢の時だ」

お互い酔いが回り何度も乗り換えをするうちに意識も視線も散漫になり、何をどこまで話したか定かではなかった。

「お前は戦うことをやめたオスだ、つまり角を折られたんだ、そうなってはツキも落ちるってもんさ、おい、いいか?お前が戦うことをやめても、世間は待ってはくれない、奪い合いなんだ。今はのうのうとしていられても、お前も年を取ればすぐ、奪われる側に回ることになる」

「なんなんだよその理屈は、飲みのたびに出すけどさ、ちっともわからん、いったいどういう理論だい?」

電車の車内というものは不思議なもので、同じ方向にむかっているにも関わらず乗っている人間の思想や人生経験やこれから向かう場所、死に場所すべて一つとして同じであることはない、公共料金でとても安く当たり前のように利用していても、その単純な事実に気が付くことはなく、人々は何の不信感も持たずに同じ空間を共有する。

この時乗客はまばらで、空いている席もあったが私たちは吊革につかまり広告や車内電光掲示板や外の景色に時折目をまわしながら、なんとか直立の姿勢を保っていた。

「実をいうとな、浮気が原因なんだ、これも奪い合いの一つさ」

私はすれ違う急行の心地よい音に耳を傾けていたので失念し、親切にも「なんだって?」と聞き返してしまった。

「俺の親父が狂って死んだってのも、俺がおふくろに親父の浮気現場を見たといったからさ。おふくろはそのことを知っていたがね。そして俺の妻が消えたのも、同じ理由さ。親子というのはどうしてこうも似るものかね、笑えるよ」

「知らんさ、それに浮気なんて誰だってする、ありふれた罪だ、いいじゃないか、本人達が楽しければそれで」

「おいおい、冷たいな。楽しければそれでいいだと?良心が痛まないのか?そうまでして、人と距離を置きたいか?」

「適切な距離を保っているんだよ、私は猫のように慎重で、それでいて節度を持っているつもりだ」

「はっ!節度か、いいねえ、いい身分だよ。君はさしずめ漱石で、俺は太宰だ。だがね、どんな身分であろうと、奪いまた奪われる、それがこの世の心理だ。そこに身を置いていないつもりでも、それがいつか降りかかる」

「わかっているよ、誤解しないでほしいが、私はいつも裏切る側の人間なんだ、それは君も知っているだろう?」

 

 

鈍行はやがて途中駅で時間調整をし、急行に切り替わる。駅と駅の距離は長くなり、やがて人の間隔も広くなっていく。

私は一人になり、地元の駅に着くと向かいのホームに見覚えのある女性の姿が見えた。私はふらふらになった背と首を伸ばし目を凝らしてみるが、照明も暗くはっきりとは顔が明らかにならない。しかたなくうなだれて、階段のほうへとぼとぼと歩きだし、しかしどうしても気になりまた向かいのホームに目をやると、その女性がこちらに手を振っているように思えた。