ドライブ


俺の人生のある期間に、狂ったように母親と長距離ドライブをしていた時期がある


母親は当時週3日のシフトだったので、平日道が空いている曜日に辺境の地におよそ三時間程度かけてドライブをする


行きは俺が運転し、帰りは母親が運転したのでそれほど疲れなかった


どうしてそんなことをしていたか?俺がマザコンだからか?いや違う。今同じことをしろと言われても頼まれてもやりたくない。しかし当時の俺には、その必要性があった


生きる目標を失うと、人間は不安に駆られる。
例えばそれがペットの面倒を見ることだったり、明日のアニメを消化することだったり、長期休載の漫画の単行本を心待ちにすることでもいい、人間には目標が必要だ


俺はその時詳細は省くが生きる目標の内のひとつ、いやふたつの大きなものを失っていた


とにかく目標が欲しかった。なんでも良かったんだ。それが見つかるまで当座の目標がドライブだった


ドライブではある目的地を決める。当然、行ったことはないからナビ頼りだ。道は運が良ければ快適だし悪ければ迷ったりもする。どちらにせよ車の狭い空間で座ってアクセルを踏むことを義務づけられ、景色が少しずつ変わっていくことに微かな喜びを覚えた


灰色の朝を迎えることに恐怖していた。じゅん散歩という番組のオープニングが聞こえると今でもあの頃を思いだし、発狂しそうになる
とにかく景色が灰色だった
お笑い番組や好きなバンドの曲や漫画を鑑賞してもそれは同じだった、どこか遠い感覚、フィルターを通して見る世界、消えることのない肺の霞み、腹に据わる一物の重り


それらはゆっくりとした渋滞のなかであってもドライブで目的地に向かうことで忘れることができた、あの期間に俺はひとつの答えを見出だしていた


必要なのは目的地、いや違う、その過程だ
ドライブではいつも行き当たりばったりの目的地だった、むしろ計画すればするほど目的地についたとき落胆が大きかった


その過程、つまり目的に向かっているという確かな実感が必要なんだ



ずっとずっとアクセルを踏み続けなくちゃならない
前に進むことを恐れ、闘うことから逃げた瞬間から、またあの灰色の景色に襲われることになるだろう