絵日記2


たまにSNSで見かける、あるじゃない「○○で成功するのはこういうタイプ~」みたいな、今日見たのは「絵描きって大きく4つのタイプに別れて~このタイプはここまで伸びるけど最後まで成長するのはこのタイプだよね~」みたいな謎の独断と偏見による診断


知るか馬鹿野郎このやろう、そうやって分類だなんだ言いながらテメエが一番成功してるって言いたいだけじゃねえか!
誰かの短い一生で、これがこうだったからこうだなんて、それは単なるケースバイケースなのに必然のように言うのはサンプル数的にも非科学的だ。
だから俺は自己啓発本とか嫌いで…(略)


こんな風にSNSでは、「優しくアドバイスしている風にして自分の価値観を押し付けマウント取り、ナルシズムの肯定若しくは洗脳がしたいだけ」な論調がたくさんあります。こういう意見は無視しよう。自分を肯定できる、自分に取ってプラスになる意見を取り入れていこう。


メンタリティというよりは、情報の取捨選択、常に大事



言いたいことは以上、以下は最近の実践と反省
(もちろんここから先も俺のケース、俺の短い一生の中で得た知見からこうじゃないか?って考察なので正解じゃないし押し付けるつもりもない。スルーして)



・線に関して(下書きペン入れ含む)
線引くとき、良いときは力加減が均等というよりは、始点から終点までがはっきりとイメージできていてかつ終点で変に払ったり抜いたりしない場合が多い
力加減はむしろ意識しない方が良いかもしれない、線のスピード、肘と手の角度、そして質感。
奥に消えるのか手前に生じるのか、それによって動かす手の角度をイメージできてると尚いい
結局は気持ちと集中がいい加減だと線もガタガタになる


・服デザインや動き、ポーズに関して
右手にアクションがあったら反対側はなるべく脱力、ノーアクションで自然体みたいに、情報のバランスは考えていた方が良い
作画コスト的なこともそうなんだけど、ごちゃごちゃして何が見せたいのかわからないと良い感じにならない
服の皺も模様も、デザインと考えてどこを強調したいか、それによって描いたり描かなかったり上手くコントロールできるといいな
上手くいくコツは、ワンポイントだと思う
世の中の服のデザインを見ると大半がワンポイント、ごちゃごちゃしたデザインは好かれない傾向にある
だから迷ったらとにかくワンポイント、皺の構造よくわかんなかったらメインになるワンポイントだけ入れる、変に上手く見せようとして描き込もうとしないこと


・練習は効率良く分割すること
相変わらず背景描けねーしシチュエーションらしきものがあると一気に悩む時間増える。
見せたいものが明確だと上手く短い時間で描けてる気がする、見せたい部分がはっきり描けていれば曖昧な部分も目を瞑ってもらえるだろう(つーか全部描くなんて無理だ!自分の能力を過大評価するな!)し見せたい部分が描けるようになれば、それを重ねることでそのうち全体が描けるようになるだろう。努力は効率良く分割すること。


・何よりやべー反省点
漫画的な技術が何一つ向上してない
漫画描いてないんだから当たり前だよね、一点イラストそれも線画ばっかりやってても完成品は生まれないよね



なので漫画を描きます。オリジナルです。ここ一年の失敗を上手く改善できるように。
次は絶対に筆を折りません、どこに出すかとかはわからないけれど(時間がどれくらいかかるかわからない…なにぶんクソ雑魚メンタルなので締切が近づくとシナシナになってしまう)
目標がないと始まらないので一年以内に必ずどこかの出版社に投稿してみます。
とりあえずまずは16p目標で完成品をつくりたいですね。
去年24p描くぞ!つって中身スカスカで13pで挫折してしまったので……16pなら…いけるやろ…
9~10月完成を目指したい



同人とか自分からやる予定は今のところないけれどやろうよ!って誘いは大歓迎です。興味あるジャンルならやります。あるのか?誘い?(人望が欲しい)



やりたいことは全部やって死にたい
















P.S. 画集本当にありがとう。

擬態する狂気


あるどこかの時点で、自分と他人とを隔てる意識的な壁を自覚する瞬間、それが人が人として大人になっていく過程のスタートらしい。


客観視、とも言うのか、物心つく、がこの場合は適切かもしれないが、その表現だと少し若過ぎる印象もある。


理屈っぽい哲学的な話がしたいんじゃない!(じゃあこんな前フリ書くな)
つまりだ、人が自分のアイデンティティを持ち始めること、それが成長のはじまりだと言いたい


これが、恐ろしく俺は遅かった。ぶっちゃけここ一、二年のことだと思う。


大学の新歓時期なんかその境目が面白いくらい別れる。自分で行動して自分のしたいことがはっきりしてる奴はその後のアイデンティティや自分の居場所をつくることに成功する。
新歓コンパでキョロキョロしてる奴はたいてい大学生活で自分のコミュニティ作りに失敗する。
俺はそこでは運良くコミュニティに入れはしたものの、アイデンティティは偽り続けていたし、そもそも虚飾ばかりでなかなか自分の言葉を発することができていなかった。


実際この虚飾も、悪いことばかりではないとは思う、それを本物にしようと努力すればアイデンティティになる。だけれども時間と労力を要することは間違いないし、それを知っているならとっくに大人らしい行動が取れるだろう。


ある就職面接の時のこと、ものの数分の自己紹介と質疑応答だけで面接官は俺にこう言った。


「君は自主性がないね」


社会で生き抜くには自主性が云々、説教をされた。理由はわからない、何がそう思わせたのか?俺の人生の何を知っているのか?面接官の貫禄がそれを悟ったのか、今でも鮮明に記憶していて、俺は訳もわからず泣きながら駅まで歩いていた。


23、4にして、まるで大人らしさがないのは自覚していた。
ファッションとか見れば、その人が今どういう精神年齢の段階に居るか、見抜ける人は見抜けるんじゃないだろうか?俺はまだ、見た目のセンスからしても高校生くらいなもんだと思う。


最近になってようやく、はっきりと自分のアイデンティティを、自認しつつある


それと同時に少しずつ、気持ちが楽になっていくような気もする(これが上手く続くかは自信はない)


毎日の生活、誰かと比べ、劣っていたり不器用さ故の失敗をしたり業務に圧迫されたり人間関係に悩んだり…
思うような成功が得られない、羨望や嫉妬の感情で自己欺瞞に胸の内が煮えている…
もしあなたが、そうやって何かに苦しみ、人生の意味を見出だせないでいるのなら、それはアイデンティティを自覚していないか、自認できないかのどちらかじゃないだろうか?



アイデンティティと生活とのギャップ、その苦しみから解放されたかったら、アイデンティティを変えることはできない。擬態には痛みが伴う。生活を変えるか、認めるしかない、自分の中の狂気を………



変態行為、常識はずれ、バッシング、奇異の目で見られるフリークス
そうだとしても、その狂気はアイデンティティなんだから…


数年前、社会に出た友人だと思っていた人が「普通になりたい」と言ったことに酷くショックを受けたことを覚えている。あの時既にちょっとした自覚はあったけれども、ずっと誰かの生活に擬態して自己欺瞞し続けてきたんだろう。それを今は少しばかり後悔している。

絵日記

 

 

「君は絵を描くタイプの人じゃないよね」

 

 

そういわれたことがある。いつ誰に言われたかとかはどうでもいい。きっとこれを俺に言った当人は忘れているだろうし、今さらそれを責めようってんじゃない。問題はその言葉が真実で、俺はそういわれて真に受けてしまい芯からへこんでそこから何年もろくに練習をしなくなった。ということだ。

 

 

 

 

絵を描くタイプの人間、ナチュラルボーン絵描き、授業中やテストの時間暇さえあれば紙の隅に落書きをしていた人、当たり前にクラスに一人はいる、根暗っぽいけど話してみると面白いやつ。奴のノートには夢がいっぱい描かれていて、頭の中は想像に満ちている、きっとどんなにテストで悪い点を取っても、結果的に人生を豊かにできるのはそういうやつだと信じていた。

そういうやつが好きだった。

 

 

俺はというと、小中高とロクに絵なんて描いてこなかった。プリントの隅には、よくわからない暗号を書きためるか、迷路のような図形を描くくらいだった。絵なんか人に見せるのはずっと恥ずかしいことだと思っていた。

 

 

先の言葉を俺に投げかけた当人は、きっと俺の拙い絵を見てそれを見抜いたんだろう。だから戒めの意味を込めて、そう忠告したんだろう。それは間違いなく真実で、線の引き方も物の捉え方も、素人のそれの弱弱しいものだった。

 

 

正直言うと、今でも俺は絵を描くタイプの人じゃないと思う。線の一本にも苦悩して、出来上がったものに堂々とできず、ビクビクおびえながらいろんな資料を漁って修正を繰り返しやっとのことで一枚出来上がる。(文章の方がずっと気楽だ。)

いやちがうはずだ、隣で描いていたあいつは、もっと自分の世界に耽って、すらすらと頭のイメージを吐きだしていたはずだ…何がちがうのか?

 

 

とりあえず生来のものは何も変わらないだろうから、習慣を身に着けることから始めた。これが恐ろしく根気のいることだった。今では当たり前のように毎日机に向かっているが、それでも時間が短い日は何日もあるし、集中が続かないことなんて当たり前だ。

 

 

絵を描くタイプの人間…

今はなにもわからない、ただ俺がそうであろうとそうでなかろうと、結果は描いてみることでしか変わらない…

長い長い先の見えない暗闇の冷たい海を、何年も一人で泳ぎ続けるような…

 

 

練習法は模写を基本にしている。一日にだいたい6~8カット程度の少ないものだが、前は好きな作家を選んで意図的な模写を繰り返していたが、それだとどうしても自分の選好によって偏ってしまい弱点が改善されないので、最近はtwitterで手当たり次第にその日流れてくる傾向の異なるいい絵を模写している。厚塗りだったり、線が少なくシンプルなアニメ系の線だったり、構図も人によって得意不得意が見えてきて面白い。ジャンルやキャラクターも全く異なるので、いかんせん統一感がなく、身になっているかは正直解らない…実際自分の絵にそれほど大きな変化があるのかも…

 

 

今後の課題は数を増やす。これは大前提。

それから全身絵ばかりで接写をあまりやってこなかったので、いざ漫画でそういう構図を用いると時間がかかってしまう…のでそれを

相変わらずアナログなのでどうにかしたい…が諸所の問題で先が見えない

線をはっきりと輪郭で魅せるタイプか、それともぼかして印象付けるタイプの線にも最近惹かれていて、それを意識してみたけれども、どうにもこうにも漫画だと情報の見え方が変わってくるから難しいんだろうなあ…

 

 

何よりこういう準備の準備段階でいつまでも悩むのはよくない癖だと思った。

絵日記終わり

 

 

 

臆病者

 

 

あれは大学一年の、確か後期の2、3ヵ月経った頃だった

 

 

大学に一年宅浪してはいった俺は、孤独だった。

高校の頃付き合いのあった仲間とは連絡を取らなくなり、入学してから一週間ほどぼっち飯を経験し、これはまずいとあわててサークル探しをはじめ、漫画研究会でなんとか居場所を作っていた。

 

 

それでも俺は孤独だった。

 

大学も最近の若者のトレンドをくみ取ってやろうとしているのだろう、おせっかいにもクラス制というものがある。自分の学部は陽キャが多く、そして運悪くサークルの同期に自分しかその学部がいないせいもあり、授業はほぼほぼボッチで受けていて、説明会も一人の情報収集能力ではどの講義が自分にとって楽なのか、ためになるのか、向いているかも判断するのが難しく、そのせいでいくつか取りこぼしが起きていた。

 

 

いや、それ自体は楽だった。取りこぼしと言っても後でいくらでも取り返せる単位数だったし、そもそもボッチでいることの時間の方が好きな自分にとっては、一人でいられる方がありがたかった。

 

 

英語の講義が、必修であった。

これもクラス制でいくつかのクラスがまとめて受けさせられるものだったが、なんと自分だけ別クラスに入れられてしまったのだ。

喜ぶべきなのか?上中下とランク分けされたなかの上のクラスに自分だけ配分された。数少ないクラスの顔見知りにも、頭いいんだねなんて言われたが、一体全体なぜそうなったのかわからない・・・入学初めのTOEIC試験でもこうなることを危惧してメチャクチャ適当に受けていたのに・・・

 

 

覚悟を決めて講義を受け始める。必修なので。

最初は、クラスの顔見知りと顔合わせ無くて済むから楽だななんて思っていたが、最初の自己紹介で違和感に気が付く。

「私はお茶の水中学出身の~高校はアメリカで~」

「幼いころ両親の仕事の関係で12さいまでヨーロッパを転々としてました~」

なんてひとがごろごろいて、みなファッションも大学生とは思えぬブランド物の財布や良くわからん鎖のアクセサリ、部屋のなかで麦わら帽子をかぶるやつと、なんとなく他の大学生とは一味違う「上流感」を出していた。

「ぼ、僕はオーストラリアに二週間・・・」

なんて言えるはずもなく、無難な記憶に残らない自己紹介をしたイオンで買った服をまとう奨学金を借りて大学に通う自分。

 

さらにこの講義では班を組み、講義中の会話はすべて英語で日本語禁止というものだった。

シャイな日本人だ、どうせ口数少なくなあなあな英語で90分過ごせるだろうと思っていたらみな堂々と英語で日常会話をし、与えられた難しい議題にも難なくディベートを行っていた。

 

俺はだんだんこの講義が耐えられなくなっていた。

前期はなんとか切り抜けたが、後期に入り、ついに3回目でぶっちすることに決めた。

 

後期にもなると大学生活に慣れ、だらだらと昼からの登校、そうして講義にも出ず部室でゲームしたり漫画を読んだり。そんな惰性に浸りきっていたある時の事だった。

 

 

キャンパス内を歩いてコンビニでいつも通りシーフード麺を買い、サークル棟にむかおうとしていたとき、

英語の講義で同じ班だったいつも隣の席の女子とばったり鉢合わせてしまった。今では名前も思い出せない、顔もぼんやりと、ちょっと出っ歯だったなくらいしか思い出せないくらい印象の薄い女だ。

気まずいしそのまま知らんふりをしてやり過ごそうといつものやり方ですれ違おうとしていた。俺は昔から学校外で知り合いにあっても知らぬ顔をして挨拶もせずその場を去るような奴だ。今回もそのはずだった。

 

 

「○○君だよね?」

この女、空気を読まずに声をかけてきたのだ。

「あ、うん久しぶり」

仕方なくしどろもどろに返事をしてうまくその場をしのいでやろうと思った。一人にしてほしかった。

「どうしたの、最近英語の講義に顔出さないけど・・・」

「いや、まあちょっと複雑でさ、ははは」

「そうなんだ~・・・」

それから気まずい沈黙があったような無かったような、とにかく女は奇妙な話をし始める。俺は最初ペアになる相手が欠席されると講義が受けづらいと責められるのではないかと思っていた。

 

「あたし高校卒業してないんだよね」

「へ?そうなの?」

何を言い出すんだこいつ、と思わずオタク特有の裏返った高い声で反応してしまった。

「家庭が複雑でさ~だからちゃんと高校通えなくて、でも大学はちゃんと出て将来は海外で働きたいから、アルバイトしながら高卒認定試験受けたんだよね~」

あくまで彼女は飄々と明るい感じで話していた。しかしその話の裏には重たい事情があることは明らかだった。それを悟られないように明るいトーンで話すのが、厳しい境遇で実につけた彼女の処世術なのだろう。

「ああ、そうなんだ・・・でも、俺はもう出ないから・・・」

「そっかーまあいろいろあるよね」

会話はこんな感じだったと思う。

彼女とは、それきりだった。

 

その時はその場から逃げたい一心だったので、深く考えなかったが、今思えば彼女は俺が複雑だから講義に出れないなんて大した理由もないのに曖昧なぼかし方をするから、余計な気を使って自分の境遇を打ち明け、勇気づけていようとしてくれたのかもしれない。

俺はと言えば、ああ意外とあの上流階級ぶったクラスにも俺みたいな奴いたのかもななんて、ちょっと面白おかしくなってしまって部室で一人カップめんをすすりながらニヤニヤ笑いを浮かべていただろう。

 

しかし今になってもその時の彼女のまっすぐな物言いが記憶に残っている。

彼女は俺よりもずっとつらい境遇でも、志を持って自分の目標に向かって真っすぐに、周りの人間との比較もはねのけてうまく適応して生きようとしていた。

俺はただ、大学4年間ほとんど自分の目標も志に向かう努力もせず浪費していた。

 

ギリギリの単位で卒業できることが決まった時、それを嬉々として親に報告しながら落ちてしまえばよかったのになんて本気で思っていた。

 

 

どうして彼女のように真剣に生きられないんだろうな